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執筆者の写真JA1FUY/NV1J

忘れえぬ人々(1)「オール真空管7MHzトランシーバー」の自作

プロローグ:私は昭和35年(1960)5月28日東京都中野区にて電話級アマチュア無線技士を取得しました。同年6月13日無線局免許申請書を関東電波監理局へ提出し、9月18日JA1FUYを免許になりました。この時の無線設備は自作の「オール真空管7MHzトランシーバー」によります。当時の住まい東京都中野区道玄町は新宿区・渋谷区に隣接する住宅地なので、アンテナを張るスペースに事欠く環境にありました。幸い住宅の裏に広い空き地があり、隅に竹竿を立て40メーターのロングワイヤーを母屋まで引っ張ってくることができました。もちろん地主不詳をいいことに無断でアンテナを展開したのは、若気の至りと反省しております。


↑昭和35年(1960)5月28日取得の電話級無線従事者免許証


開局当初は専ら7MHz帯AM(振幅変調)による交信を楽しむごく普通のアマチュアでした。当時はSSBの影すらない時代で送信機や受信機を自分で作るのが一般的でした。それでも米軍ジャンクや輸入無線機を備えるうらやましい方もおられました。当時は自分で作る=自作派が主流でしたから手作り派には電気部品を求めて東京・秋葉原の電気街へ出かけるのが楽しみでもありました。


↑1960年代のJA1FUYのシャック。 常置場所を東京都東村山市へ変更しました。 オール真空管式トランシーバーは珍しくクラブのOMさん(藤尾八十治氏)JA1DRA(ex J2IA)の目に留まり、「製作記事を書いてみないか」と思いもかけないお誘いを受けました。クラブ報(ホリゾンタル・クラブ)の編集&制作担当でしたから原稿書きならなんとかできると恐れを知らないまま無謀にも記事を仕上げてOMさんに手渡してしまったのです。これが人生の転機となるとは気づかないまま、後になり人生の岐路に立っていたと思い出されます。


手作りの真空管式トランシーバーは、可搬型に設計しましたからこれを持って遠く北海道の親戚を訪ねて運用してみました。TVフィーダーを流用のフォールデット・ダイポール・アンテナを屋根の上に張りJA8、JA7、JA1エリアの数局と交信して満足するのも束の間、近くを流れる空知川の氾濫により親戚宅が腰下あたりまで水位が上がる水害に遭遇、自慢のトランシーバーが水没によりあえなく昇天しました。

長いアマチュア無線人生(1960~2024)に無線従事者免許証が目まぐるしくアップデートしました。電話級アマチュア無線技士(1960)でスタートし、電信級アマチュア無線技士(1985)、第二級アマチュア無線技士(1986)、第一級アマチュア無線技士(2007)へと変遷し。友人の助けを借りて設備共用による1kW局の開設が実現したのは出来過ぎの感があります。余力を駆って米国アマチュア・エクストラ級にも挑戦してNV1Jを取得、ARRLのVE(ボランティア・エグザミナー)活動にも参加できました。


次回は人生の転機になった「オール真空管7MHzトランシーバー」の概要と人生の流れを変えてくださったJA1DRA藤尾先生について触れておこうと思います。(JA1FUY/NV1)2024/12/03


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