1980年頃、東京都豊島区・駒込の本郷学園(幼稚園、中学校、高等学校)に隣接する閑静な邸内に7MHz帯のダブレット・アンテナ設置を友人の四条公信さん(JA1NLQ)に誘われて松平頼明邸を訪ねました、なんと松平氏は高松藩最後の藩主(11代) 松平頼聡の孫として生まれた13代当主・松平賴明氏(1909-1990)はJ2II、JA1JAMのコールサインを持つ熱心なハムでした。
アンテナ材料と同軸ケーブルなど一式を持参して松平頼明邸を訪ね、隣接するゴルフ練習場のネットを張るタワーと屋根から突き出したポールの間にアンテナを張った思い出があります。当時体力に自信の持てる50歳代でしたから屋根に上るのも、またゴルフのネットを張るタワーによじ登るのも躊躇がありませんでした。午後一番に始めた作業は夕刻には
高さ20メートル、7MHz帯1/4波長ダブレット・アンテナが完成しました。
発注済みのYAESUトランシーバーの到着を待ち、後日、アンテナの調整を兼ねて一人で訪ねることとなりました。7MHz SSBでテストすると面白いように交信が進み、理論上の利得は2.14dBi(2.15dBiとされる場合もある)を実感できる出来栄えでアンテナの仕上がりにご満足いただけました。
当時、松平頼明氏は本郷学園理事長、日本ボーイスカウト理事などの要職にありご多忙と見受けましたが、昼食をご一緒いただき「ざるそば」をご馳走になりなりました。高松城の話に触れると、『高松に行くと、家老など重職の子孫が迎えてくれる。』
『高松城は昭和29年、城跡を管理する財団法人松平公益会から高松市に譲渡した。』
『水戸徳川家と高松松平家は互いに養子縁組を繰り返した。』等々、貴重なお話を披露してくださいました。
昭和20年(1945)妻子と共に高松に移住し、高松城址内 披雲閣の2階に5年間ほど居住したと聞きました。平成24年(2012)披雲閣(旧松平家高松別邸)が高松城址と共に重要文化財に指定されました。
その後、JARL技術研究所のお披露目等で何度かお見かけしましたが、1990年2月23日死去。享年80歳、護国寺で葬儀が行われ、歴代の藩主が眠る法念寺(高松市仏生山町)に葬られました。(JA1FUY/NV1J) 2024/12/30
↑JA1JAM(ex J2II)松平頼明氏(1980年頃)
↑松平氏の居城、讃岐国・高松城の良櫓(うしとらやぐら)
Comments